ベル・カント唱法とドイツ唱法の誤り

音楽大学を卒業後、イタリア留学するのは大いに結構だが、「ベル・カント唱法(美しい歌い方)」と称する誤った歌唱法を持ち込み指導する声楽家講師が非常に多い。その結果、「ドイツ唱法」というものも生まれてしまったのでしょう。

例えば、イタリア・オペラを歌う「ベル・カント唱法」とドイツ・リートを歌う「ドイツ唱法」では、横隔膜の使い方が180度相反するものである。
「ベル・カント唱法」では下腹部を徐々に押し上げながら自然に横隔膜が上がるに任せて発声するのに対し、「ドイツ唱法」では息を吸ってから横隔膜(腹)の状態を保ちながら力を入れて発声する。即ち、両方を同時に学ぶことはできない。

これは、横隔膜(腹)の使い方を説明していますが、どちらも誤りです。発声の基本は、丹田で呼吸を支え、横隔膜で声を支えることです。下腹部を徐々に押し上げながら自然に横隔膜が上がるに任せて発声してしまったら、呼吸のポジションが上がってしまうため、息を自由にコントロールすることはできません。同時に、喉のポジションも上がるので、却って高音で力んでしまい最悪な結果を招くことでしょう。また、横隔膜は柔軟に使うのであって、力を入れて発声してしまったら音程をコントロールすることはできません。
正しい身体の使い方の基本は、息を吸ってから丹田で呼吸を支え(吸って広げたお腹をしなやかな筋肉で保ったまま)、必要な息に応じて横隔膜を柔軟に使い発声することです。つまり、楽曲によって言語(発音)や表現様式が異なるだけで、イタリア・オペラもドイツ・リートも発声の原理は全く同じなのです。


ベル・カント唱法など存在しない

現在、多くの声楽家講師たちが生徒に指導し解釈されている「ベル・カント唱法」は、主にコーネリウス. L. リード氏(1911年 - 2008年)による著書『ベル・カント唱法』(1950年)とフレデリック・フースラー氏(1889年 - 1969年)による著書『うたうこと』(1965年)の歌唱理論です。
前者のリード著『ベル・カント唱法』では、ヴォーチェ・ディ・フィンテ(声区の融合)を習得するために「Messa di voce(メッサ・ディ・ヴォーチェ)」の発声技術を重要視しています。メッサ・ディ・ヴォーチェとは、「声のポジションを調整する」という意味で、「換声点(パッサッジョ)」と呼ばれる地声と裏声の境目をなくしていくことを目的とした訓練法です。
後者のフースラー著『うたうこと』では、「アンザッツ(発声配置)」の発声技術を重要視しています。アンザッツとは、科学的発声理論を基に、7種類の声を出すことによって「喉を吊る筋肉(喉頭懸垂機構)」を鍛え、誰もが持つ声の潜在能力を目覚めさせることを目的とした訓練法です。
両者の共通点は、「声のポジションを調整し、声区(胸声・中声・頭声)を融合する」という訓練法です。

はっきりと申し上げますが、リード著『ベル・カント唱法』とフースラー著『うたうこと』の歌唱理論は、両者共に「ベル・カント唱法」ではありません。なぜなら、これらの発声技術は、現在レコード音源に残っている「ベル・カントの黄金時代」と呼ばれた歌手たち、それらを理想とする歌唱法の産物をただ理論化されたものに過ぎないからです。つまり、18世紀以降に生まれた別物の「ベル・カント唱法」なのです。
そう言い切れる理由を真理(宇宙の道理)に基づき、私が分かりやすく解説致しましょう。

上記のリード氏とフースラー氏の発声技術は、先にも述べたように「声のポジションを調整し、声区(胸声・中声・頭声)を融合する」という訓練法です。この声のポジションを調整するために、パッサッジョ域で意図的に咽頭を閉じる「chiuso(キューゾ)」によって声をかぶせる「coperto(コペルト)」の発声は、音色を重要視しています。特に、19世紀から20世紀にかけて活躍したオペラ歌手に多い歌唱法です。実は、この発声技術では劇場全体に響き渡る声量は出せません。
オペラが初めて生まれた16世紀末は、声を拡張するマイク機材もなければ蝋燭の照明しかなかった時代です。そんな時代に、「声を遠くへ飛ばす」という発想力は生まれても、「声を調整する」という発想力など生まれるはずがない。

劇場全体に響き渡る声量で歌うためには、低音から高音まで全く同じ声のポジションのまま、身体の軸に沿って声が頭上から突き抜ける感覚の「acuto(アクート)」された発声技術でなければならない。私は、それこそが17世紀から18世紀にかけてバロック時代で存在した真の「ベル・カント唱法」だと思っています。しかし、その時代のものは音源にも残っていない。だから私は、言葉が独り歩きした時代の幻想を信じ込むのではなく、真理で判断して頂くために「ベル・カント唱法など存在しない」と強く主張しているのです。


アクートとは「真実の声」を解放すること

誤解して頂きたくないのは、私はリード氏とフースラー氏の歌唱理論を否定している訳ではありません。何事も否定から始まると、それ自体が持つ「本質」を見失ってしまう。大切なことは、全てを実践し本質をきちんと理解した上で、自分にとって必要なものだけを取り入れ、「自分のメソッド」を完成させて指導することです。ところが、最近のヴォイス・トレーナーたちは、何でもかんでもただ知識だけを詰め込み、それで全てを熟知したかのように勘違いしています。安易な情報の過剰摂取は、もはや「洗脳」にしかならない。

特に、フースラー・メソッドの「アンザッツ(発声配置)」の発声技術を取り入れているヴォイス・トレーナーに習う場合、受講者は果たしてそれが真理に基づいているのか、きちんと見定めなければならない。なぜなら、まるでフースラー・メソッドだけが本物かのように語り、それ以外の歌唱理論は全て誤りだと洗脳させるかのように指導するヴォイス・トレーナーたちが多いからです。そういう者たちに限って、確固たる「自分のメソッド」はありません。
アンザッツとは、先にも述べたように、 7種類の声を出すことによって「喉を吊る筋肉(喉頭懸垂機構)」を鍛え、誰もが持つ声の潜在能力を目覚めさせることを目的とした訓練法です。それによって、声帯をコントロールすることができれば、自然な呼吸法が身に付き、腹式呼吸を全く必要としないとされています。しかし、これは大間違いです。
潜在意識に働きかけるのは、「冥想」です。つまり、正しい「完全呼吸法」を身に付け集中力を養わない限り、潜在意識が目覚めることはない。そもそも、声帯を支える喉の筋肉を鍛えても首が太くなるだけであって、喉頭が自由になり声が解放されることはない。

「丹田に呼吸を下ろし、心を開放さえすれば自ずと喉の筋肉は開放され、声も解放される」

これが、私の提唱する歌唱理論です。リード著『ベル・カント唱法』にある意図的に喉頭を下げて声を調整することでもなければ、フースラー著『うたうこと』にある意図的に喉を吊る筋肉(喉頭懸垂機構)を鍛えることでもない。つまり、本当に「解放された声(アクート)」とは、喉で何か余計な操作をするのではなく、「心を開放した声」を言うのです。そして、発声技術を学ぶ上で気を付けることは、決して「声作り」に執着しないことです。
よく、真理ではなく人間の価値観や常識(情報の過剰摂取による洗脳)から成り立っている「男性らしい声」「女性らしい声」「モテる声」などを指導しているヴォイス・トレーナーたちを見かけるが、そんな声など存在しない。それは、もはや「ベル・カント商法」という名のインチキ商売です。
アクートとは、声を作るのではなく、貴方の奥深くに眠っている「真実の声」を解放することです。その結果、言語(発音)や表現様式が異なるどんなジャンルの楽曲でも歌い熟せる発声技術を習得できるのです。



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