練習曲の課題の意味を理解すること

歌唱曲を練習する前に、毎日のルーティンとして必ず行なって頂きたい歌唱トレーニングが、「コンコーネ50番」です。

この「コンコーネ50番」は、イタリアの作曲家パオロ・ジュゼッペ・ジョアッキーノ・コンコーネ氏(1801年 - 1861年)によって確立されたヴォカリーズの教則本(50の練習曲集Op.9)です。
当初は、ソルフェージュ(楽譜を見て音感やリズム、歌う心を養うための音楽理論)の一環として使用されていましたが、発声練習や歌唱練習など用途を選ばないので、どの音楽ジャンルの方でも目的に応じて自由に勉強することが可能です。
ただし、練習曲である以上、できる限り作者の意図を汲み取り、課題の意味を深く理解しなければならない。つまり、演奏に必要な発声技術や表現技術を身に付けるための手段として課題があるのです。この「手段」というのが重要です。

例えば、コンコーネ50番の第1曲目と第2曲目の課題は、「Voce di Finte(ヴォーチェ・ディ・フィンテ)」です。ヴォーチェ・ディ・フィンテとは、声区(胸声・中声・頭声)を融合する発声法を言います。つまり、低音から高音まで一つの響きで歌唱できる発声を身に付けるために、この課題が用意されているのです。その根拠は、楽譜の中で「クレッシェンド(徐々に強く)」しながら「デクレッシェンド(徐々に弱く)」していくという表現技術が求められていることから一目瞭然です。なぜなら、これを可能にするには、低音から高音まで全く同じ声のポジションのまま、身体の軸に沿って声が頭上から突き抜けるような解放状態を意味する「acuto(アクート)」でなければならないからです。

ちなみに、18世紀以降から現在まで、多くの声楽家たちが本物だと信じ込んでいる「ベル・カント唱法」では、ヴォーチェ・ディ・フィンテ(声区の融合)を習得するために「Messa di voce(メッサ・ディ・ヴォーチェ)」の発声技術を重要視しています。メッサ・ディ・ヴォーチェとは、「声のポジションを調整する」という意味で、「換声点(パッサッジョ)」と呼ばれる地声と裏声の境目をなくしていくことを目的とした訓練法です。そのために施されたのが、クレッシェンドしながらデクレッシェンドしていくという表現技術です。
故に、多くの日本の声楽家講師たちは、この表現技術そのものをメッサ・ディ・ヴォーチェ(声の調整)だと思い込み、それをコンコーネ50番にも適用しているのが現状です。先にも述べたように、「声のポジションを調整する」という意味であって、表現技術ではない。

「島倉 学メソッド」のカリキュラムにおける声区の融合では、アクート(解放状態)にある発声を前にしてメッサ・ディ・ヴォーチェ(声の調整)など必要ない。呼吸がしっかりと丹田に下りていて、心を開放さえすれば、喉は勝手に開き声を解放することができる。意図的に喉頭を下ろしたり声のポジションを調整する行為は、無意味に等しい。もちろん、歌唱に必要な身体の使い方(肉体の筋力)がきちんと備わっていることが前提です。
存在もしない「ベル・カント唱法」の理論に執着している限り、真理に辿り着くことは一生できないでしょう。


1つの「母音」ではなく「階名」で唱うのが最も良い訓練法

課題の意味が理解できたら、次は「母音」と「子音」の分離です。これは、歌唱の際に観客にまで歌詞がはっきりと聞こえるように、発音を明瞭化するための訓練法です。声楽の場合、日本ではよく「母音」に変えて歌われていますが、1つの母音のみで歌うことは響きが片寄るため、私は絶対にお勧め致しません。ただし、母音の響きを純粋化するために、「階名」を母音のみに変えて歌うことは良い練習になります。
例えば、劇団四季では歌唱稽古の際に、歌詞を全て母音のみに変えて訓練しています。これは、劇団四季メソッドの1つである「母音法」と言って、50音全ての発音を綺麗に響かせるために開発された素晴らしい訓練法です。なぜなら、子音をつけて唱っても全ての母音の移行が滑らかになり、日本語がはっきりと聞こえるからです。ここで大切なことは、日本語や外国語を問わず、喉の奥は「あ」が基本であることを決して忘れてはいけません。
どんな言語であっても、階名で唱うことが母音と子音を綺麗に響かせて唱うための最も良い訓練法だということを必ず覚えておいて下さい。


フレージングの重要性

発音を明瞭化できたら、次は「言葉の真実」を明確に伝えるためのアプローチです。
歌手の仕事は、作曲家の想いが込められた美しいメロディー(旋律)に歌詞(台詞)を乗せて、正しい音程とリズムで唱うことです。これは、メロディーを綺麗に歌うことでもなければ、言葉に感情を込めて歌うことでもありません。歌手がそれをやると表現過多に陥り、言葉の真実を失ってしまう。大切なのは、その瞬間に「実感」した知覚変動を乗せて表現することです。そこでアプローチしなければならないのが、「フレージング」です。
フレージングとは、音楽ならば曲の構造を分析し、メロディーを楽句に分けることです。歌ならば歌詞の構造を分析し、文章を区切ることです。両者共に、意識の変化が起こっているところを自分の解釈で読み取らなければならない。特に歌の場合は、まとまりのある文章の中で更に細かく文節ごとに区切りを入れなければ、ニュアンス(意味合い)は伝わりません。それは、例え歌詞のないヴォカリーズであろうと同じです。
では、下記の「ぎなた読み(弁慶読み)」を例に挙げて解説致しましょう。

「あなたはきょうしかいしゃをえらぶ」
①あなたは / 今日 / 司会者を / 選ぶ
②あなたは / 教師か / 医者を / 選ぶ

このように、文節の区切り方によって、①と②とでは全く異なった意味になり、それが観客へと伝わってしまう。これで、いかにフレージングが重要であるかをご理解頂けると思います。
ちなみに、フレージングの中に細かいニュアンスが入っていれば、「抑揚を付ける」という無意味な行為も必要ありません。
ここまでが、冒頭でも強調して述べた演奏に必要な発声技術や表現技術を身に付けるための「手段」です。つまり、人間の顕在意識に働きかける勉強法です。


想像から見えないものを創造する歌唱法を習得すること

ここからは、私の主観で「コンコーネ50番の意義」を教授致します。
作曲家でもあり教育者でもあったコンコーネ氏は、何故わざわざ歌詞のないヴォカリーズの教則本にしたのか。それは、最終的に発声技術や表現技術を超越した芸術を生み出せるようにするためです。

「想像力によって五感(感覚)から歌詞のないメロディー(旋律)を言語化し、創造力によってそれを具現化し歌唱(演奏)すること」

優れた楽器奏者は、音楽のみであっても、メロディーから感じ取った見えないものを言葉として創造することができます。そして、具現化された言葉から実感(知覚)したものを美しいメロディーに乗せて演奏することができます。なぜなら、歌手以上にコンコーネ50番の意義を熟知して鍛錬を積んでいる楽器奏者が多いからです。歌手は身体が楽器ですから、声を使って楽器奏者と同じことができなければおかしい。また、想像力を刺激して「五感」を呼び起こし、役柄の深層心理や物語の情景・背景を具現化したものがイメージ(映像、心像)として観客へと伝わるように表現できなければ、コンコーネ50番をやる意味はない。

歌手は、コンコーネ50番の美しいメロディーから、自分の解釈によって想像から見えないものを創造する歌唱法を習得しなければならない。つまり、人間の潜在意識に働きかける勉強法が必要なのです。



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