古典ヨガの根本経典『ヨガ・スートラ』の定義は、「心の作用を止滅すること=執着してしまう心を捨てること」です。その完成体系が「ラジャ・ヨガ」です。現実世界において、宇宙と一体化する(高次元の存在=神と繋がる)ことで肉体と精神が融合し、最終的には解脱する(肉体から離れる)ための実践方法が八支則に分けられています。これをアセンション(魂の次元上昇)と言います。
現在主流になっているヨガのポーズ(アサナ)とチャクラを取り入れた「ハタ・ヨガ」の概念は、肉体と精神を同一とし、「心の作用を活性化すること=全てを受け入れ認めること」です。どちらにも共通するのは、『ヨガ・スートラ』八支則の最終実践「サマーディ(三昧)」によって、本当の自分(真我=アートマン)を知り自己超越することです。つまり、ラジャ・ヨガとハタ・ヨガは「表裏一体」であることから、私のLessonカリキュラムでは両方の要素を組み込んであります。
ちなみに、先に述べた「心の作用を止滅すること=執着してしまう心を捨てること」の意味を「自我意識(自意識)を捨てること」と誤解しているヨガ修行者も多いのですが、それは大間違いです。
『ヨガ・スートラ』八支則の最終実践「サマーディ(三昧)」は、宇宙と一体化する(高次元の存在=神と繋がる)ことで肉体と精神が完全に融合する状態になります。
これは、演技で言う俳優が役柄(観察対象)と自我(観察者)の一体化=自分(観照者)になるという感覚と全く同じです。しかし、俳優が自我意識(自意識)を捨てたら、役に飲まれ自分として役を生きることはできません。つまり、本当の自分(真我=アートマン)を知るという行為は、想像力によって創造した物語の世界に自分が「居る(そこに存在する)」と認識することなのです。
「島倉 学メソッド」によるMaster(上級)カリキュラムの潜在意識を駆使する表現法ー 精神編 ーでは、自我意識(自意識)を捨てるのではなく、煩悩に振り回されないために「業(ごう)と欲への執着心を捨てること」を重視しています。つまり、自我を忘れず自己超越する=自我意識(自意識)を確立するための実践なのです。