映画『ゴッドファーザー』3部作の演技法を分析

講師:島倉 学

映画『ゴッドファーザー』3部作は、俳優が台本にある役柄の人生を深く掘り下げ、役をリアルに生きる「メソッド演技」で知られる有名な作品です。そこで、私がこれまで何度も鑑賞した際に、細かく分析した演技法ついて講義致します。

「The Godfather」(1972年)
「The Godfather Part II」(1974年)
「The Godfather 最終章」(1990年)*2020年再編集版

原作は、マリオ・プーゾ氏の小説『ゴッドファーザー』です。
脚本は、全シリーズの監督であるフランシス・フォード・コッポラ氏と原作者マリオ・プーゾ氏が執筆しています。

出演者は、圧倒的な存在感で魅了するマーロン・ブランド氏、当時は無名のアル・パチーノ氏、ロバート・デ・ニーロ氏、ロバート・デュヴァル氏です。そして、アメリカでスタニスラフスキー・システムの演技法を導入し、「メソッド演技」を確立させた演技指導者のリー・ストラスバーグ氏です。

Part I、Part II、最終章の作品を通して感じるのは、プロット(物語の構成)は全く同じなのですが、俳優の演技法がシリーズによって異なっている点です。
特に、16年を経て製作された最終章は、Part IとPart IIに比べて、若手俳優の心理描写のディテール(詳細)が全く見えない。だから、見ていても退屈で仕方がない。私は、その理由をこう分析致しました。

Part IとPart IIは、先に述べたマーロン・ブランド氏、アル・パチーノ氏、ロバート・デ・ニーロ氏、ロバート・デュヴァル氏、リー・ストラスバーグ氏と言った1970年代主流の「メソッド演技」で演じられています。まさに、リアリティーを追求した役を生きる演技法です。
例えば、アル・パチーノ氏が演じる優等生のマイケルが、初めて殺人に手を染めるレストランでのシーン。
会談中のマイケルが、トイレに向かい隠しておいた拳銃を持って席に戻る。そして、会談相手の2人を撃ち殺す。至ってシンプルなシーンなのに、視聴者が物凄く緊張して見てしまうのは、マイケルの激しい葛藤があまりにもリアルに表現されているからです。
それまでファミリーのビジネスから距離を置いていたマイケルが、家族を傷つけようとする者は許すことはできない、極限まで抑えていた感情のブレーキが外れ、マフィアの世界から後戻りできなくなる瞬間です。アル・パチーノ氏による演技力が本当に素晴らしいです。
この人間の内面、目に見えない葛藤、荒れ狂う細かい心の動きを見事に「行動(アクション)」で具現化された演技法こそが、「メソッド演技」の本質です。

一方の最終章では、メソッド演技出身の俳優たちは皆年老いており、1990年代流行の「説明型演技」で若手俳優が演じています。分かりやすく言い換えると、キャラクターの見た目を重視する日本のテレビ俳優の演技です。まさに、脚本上で感情を動かすための「トリガー(動作を開始するためのきっかけ)」となる親切な台詞や行動で、表面的に誰が見ても分かるような演技法です。 3代目ゴッドファーザーを襲名するヴィンセントを演じる俳優のアンディ・ガルシア氏が、上記に当てはまります。この「説明型演技」は、開口・発声や型の基礎がしっかりと身に付いていれば、それなりに良い演技に見えます。私は、憑依型派なので全く好みませんが(笑)

この最終章における汚点は、フランシス・フォード・コッポラ氏とマリオ・プーゾ氏の脚本において、説明型演技出身の俳優たちには一切通用しなかったことです。
彼等の脚本は、余計なものを削ぎ落とし、感情を動かすための「トリガー(動作を開始するためのきっかけ)」となる親切な台詞や行動が一切書かれていない。映画を見るとそれがよく分かります。
脚本がシンプルに書かれているのには、理由があります。それは、俳優自身がその瞬間に実感(知覚)したものを真実として導き出せるようにするためです。

当時のメソッド演技出身の俳優たちは、脚本に書かれている行間から「想像(イマジネーション)」を膨らませて、自分自身で「トリガー(動作を開始するためのきっかけ)」を作り、結果的に感情を生じさせる高度な演技術がありました。台詞を深く掘り下げ、言葉の裏に隠れて見えない想念(Idee)を読み取り、細かい知覚変動を当てはめてリアルに演じる事ができたのです。しかし、説明型演技出身の俳優たちには、その演技術が身に付いていないので、どうやって演じて良いのか分からないのです。
例えば、アンディ・ガルシア氏が演じるヴィンセントが、マイケルの娘でもあり、従兄妹の関係にあるメアリーと恋仲になる心理描写です。 ヴィンセントは、マイケルの後継者として正式にポストを継承するために、やむなくメアリーと別れる条件をのみます。
この相反する複雑な感情を結果的に生じさせるには、「トリガー(動作を開始するためのきっかけ)」が必要です。ところが、脚本は「メソッド演技」に適しているため、ただマイケルの娘メアリーとのやり取りが書かれているのみ。俳優自身の高度な演技術が求められます。
私が見る限りでは、終始ヴィンセントがいつメアリーと恋に落ちたのか、禁じられた恋の高揚感は全く感じられなかったです。だから、クライマックスでメアリーが射殺された際も、彼女をただ見ているだけのボヤけた演技になってしまったのでしょう。

Part IとPart IIは、メソッド演技出身の俳優たちによる素晴らしい演技力をたっぷりと堪能できる最高傑作と言えるでしょう。



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