「居て、捨てて、語る」

「居て(在て)」「捨てて(聴いて)」「語る」
これは、常に一番大切な俳優の心得だと仰っていた演出家・浅利慶太氏の教えです。

表現者において、最も邪魔になるものとは何か。それは「執着心」です。その中でも、特に人が陥りやすいのが「業(ごう)」と「欲」です。

・自分を良く見せようとする心
・実力以上に上手くやろうとする心
・自分の実力や技術を過信する心

どの分野においてもですが、人は「誰よりも自分が良く見られたい」と取り繕ってしまう。邪心があるから本質が見えなくなる訳です。 それを拭い去るために、この心得があるのです。つまり、ありのままの自分をさらけ出しシンプルに表現することです。

●居る(在る)
台本にある役柄の深層心理・背景・人生を分析し理解すること。役になろうとするのではなく、 自分(観照者)の身体で実感したものが役の人物となり、ただそこに存在するということです。

●捨てる(聴く)
よく「自我を捨てなさい」と指導する演出家や講師が多くいますが、それは間違いです。自我(観察者)への「執着心」を捨てるのであり、 自我を捨てたら心を取り乱します。また、技術を磨いていく上で必要なメソッドや公演ごとの達成感も板の上では邪魔になります。 積み重ねて得られるものは全て、その場で捨て去るという意味です。なぜなら、常にその瞬間で創り出された新鮮な舞台をお客様へ届けるためです。

そのために必要なのが「聴く」です。舞台はほとんどの場合相手役が存在するので、相手が今何を言っているのかをしっかりと聴き、それを心で受け止めること。 聴くことに集中することで無意味な行動がなくなり、よりリアルな交流が生まれるのです。

●語る
自分(観照者)の肉体に憑依した役柄(観察対象)の人生を自身で実感し、自我(観察者)によって精神をコントロールされた自分(観照者)が真実のように語るという意味です。

「語る」の本質は、精神論ですから解釈が一番難しいと思います。
自我とは心理学で「エゴ」です。エゴとは、自己中心的な考えで一般的には否定されますが、時と場合によって執着心を捨てさえできれば、私は肯定致します。

エゴは、あくまでも動物的本能(欲望)と理性(社会的規則)の間にあり、自分をコントロールするために存在する意識です。 この動物的本能と理性のバランスが崩れると精神が不安定になる訳です。

私は、役柄を観察対象と表現致しましたが、常にそれを観察する自我があり、観察対象(役柄)と観察者(自我)が一体化した時、 ただ存在するだけの観照者(自分)になっているという意味です。つまり、その状態が「宇宙と一体化」と言ったり、「神が宿る」表現力と言います。

表現者とは、肉体と精神のバランスで成り立っています。そのバランスをしっかりと保てるようにするためにメソッドがあり、呼吸法と発声法の基礎がとても大切なのです。



▲ ページTOPへ
                                       


  
Copyright © 2012 Shimakura Music Office All Rights Reserved.