コンスタンチン・セルゲーヴィチ・スタニスラフスキーの弟子、ルイシャルト・ボレスワフスキー[リチャード・ボレスラウスキー]は、1923年にニューヨークでアメリカン・ラボラトリー・ステージ・シアターを開設。
スタニスラフスキー・システムがアメリカ流に解釈され「リアリズム(虚構を真実かのように見せる)」の演技法が世に広まった。
ボレスワフスキーは、1930年まで活動し、後に「メソッド演技」として知られる演技法を教授した。
1931年、アメリカン・ラボラトリー・シアターで学んだリー・ストラスバーグ、ハロルド・クラーマン、シェリル・クロフォードの3人が、劇団 「グループ・シアター」 を結成。そこにステラ・アドラー、サンフォード・マイズナー等が俳優として在籍していた。スタニスラフスキー・システムを実践し、社会劇をブロードウェイで上演していた。
1934年、ストラスバーグがアドラーを演出した際に、何度も過去の辛い経験を掘り起こすことを要求した。耐え兼ねた彼女は、スタニスラフスキーに面会を求め、システムの一つ「感情の記憶」を責めた。
スタニスラフスキーは、5週間に渡ってアドラーに、自分の人生経験すべてを使い、シーンで起こる状況を想像する「Magic If(魔法のもしも)」の手法をもとに指導した。稽古を積んだ彼女は、その教えをアメリカに持ち帰る。そのため、ストラスバーグがグループ・シアターを脱退し、「メソッド演技」は2つの道に分かれていった。
1935年、マイズナーは「ネイバーフッド・プレイハウス」に参加し、スタニスラフスキー・システムをもとに独自の「マイズナー・テクニック」を確立した。
1947年、劇団「グループ・シアター」の同窓生だったエリア・カザン、チェリル・クロフォード、ロバート・ルイスの3人が「アクターズ・スタジオ」を創設。
ネイバーフッド・プレイハウスで演技指導していたマイズナーが、アクターズ・スタジオでも教鞭を執っていたが、1948年に演技指導者として加わったストラスバーグが芸術監督に就任。
ストラスバーグは、スタニスラフスキー・システムをもとに「感情の記憶」を重視した方法論で独自の「メソッド演技」を確立した。
マイズナーもまた、アドラーと同様に「感情の記憶」でストラスバーグと対立し、「アクターズ・スタジオ」を辞任したと言われている。
1949年、スタニスラフスキーから直接演技指導を受けた唯一のアメリカ人であったアドラーは、「ステラ・アドラー演技スタジオ」を設立。
リー・ストラスバーグ氏が提唱した「感情の記憶」を主軸に、五感を使って俳優個人の過去の記憶を引き出す演技法と、ステラ・アドラー氏が提唱した「行動と想像力」を主軸に、俳優が文章から学び、想像した状況を信じることが出来れば、脚本にある感情が自然に表面化する演技法の確執は約50年も続いた。
ステラ・アドラー氏は、生前にこんな言葉を残している。
「自分の人生にしがみつくのはやめなさい。役はそれよりも大きい世界で生きているのだから」
リー・ストラスバーグ氏とステラ・アドラー氏の根本的な違いは、俳優の「感情の引き出し方」でした。ストラスバーグが、とても寡黙(かもく)な人物であったため、感情のスイッチが入る瞬間を研究していた。
一方のアドラーは、とても感情的な人物であったため、行動の論理を立てていったと言われている。
私から見れば、両氏の対立において、方法は違っていても行き着く先のゴールはどちらも同じです。
これは、私の主観でお話し致します。ステラ・アドラー氏は、「感情の記憶」によるトラウマの影響のためか、受け入れる前に否定から入ってしまった。何事も否定から始まると、それ自体が持つ「本質」を見失ってしまう。
「感情の記憶」の本質は、自分自身の弱さとしっかり向き合い「意志」を強くしていくことです。そのためには、自分の人生経験からそれを学ぶこと。そして何よりも、過去の実体験から得た「実感」に勝るものはない。
例えば、ウィリアム・シェイクスピアの四代悲劇の一つ『ハムレット』があります。俳優は、戯曲の中にあるハムレットの人生経験と自分自身の人生経験を比較する必要は全くない。
「あなた(俳優)が信じる、あなた(俳優)自身のハムレット」で良いのです。そう思えれば、あなたの心も少しは軽くなるでしょう?(微笑)
偉大な劇作家の伝えたいものが、名優の人生経験よりも大きい世界かどうかの基準など、どこにも存在致しません。それよりも重要なことは、自分の「実感」が真実かどうかです。
想像力を働かせて、自分のこれまでの人生経験から、できる限り近い「実感」を呼び起こし、役柄の人生を生きることができれば、その実感から結果として生じる感情は本物であり、観客にはハムレットに見える。つまり、劇作家が伝えたいものの大きさとは、俳優個人の「人生経験の豊富さ」で決まるのです。言い換えると、同じハムレットを演じても俳優個人の人生経験(年齢とは無関係)によって、役のスケールは当然ベテラン俳優とは異なることでしょう。しかし、それを気にする必要はありません。
どんなにスケールが小さくても、自分自身の実感から結果として生じる感情が、真実として観客に伝わり共感を得ることができれば、それで良いのです。なぜなら、俳優とは様々な役の人生経験を積み重ねることで成長し、人間としても大きくなれるからです。つまり、俳優にとって「リアリズム」とは、自分自身に戻ることなのです。
後は、しっかりと「技術」を磨き上げ、それを支えるための「肉体」と「精神」も一緒に鍛え続けていくことがとても大切なのです。
近年、日本の様々な演劇学校や俳優養成所で基礎訓練として実施されているのが、最も有名な「レペティション(反復エクササイズ)」という訓練法です。
2人の俳優が、互いに向き合いながらエッセンス(物事の本質)を共有し、本能的に相手の言ったことをきちんと聞いて、そのまま相手に伝える。それを繰り返す事によって「準備した実感」ではなく「本物の実感」を引き出すことができる。
これは、サンフォード・マイズナー氏が「衝動の働き」を主軸に、演技の基礎は行動のリアリティであると提唱した「マイズナー・テクニック」の1つです。
現在でもアクターズ・スタジオの「メソッド演技」は、リー・ストラスバーグ氏が提唱した「感情の記億」を主軸にした訓練法であるのに対し、サンフォード・マイズナー氏が確立した「マイズナー・テクニック」では完全にそれを放棄しています。
メソッドとは何か
「メソッド」とは、技術を学ぶための手段としてベクトルを合わせていく方法論です。俳優のほとんどが、メソッドを使うことで生まれ持った才能と個性を潰すと錯覚している。
まず、ご自分の全身を鏡で見て頂きたい。表面から見える容姿(顔立ちと体つき)は、誰一人としてあなたと全く同じ人はいません。しかし、それを形成している土台は隠れて見えない「骨格」です。
皆さんは、その上にご自分の好みのデコレーションで身を包みお洒落をする。それが、あなたの「個性」です。あなたが、その本質に気が付いた時「メソッドの必要性」を実感できるはずです。そして、メソッドの正しい使い方を師から学ぶことで、あなたの眠った「才能」を開花することができる。つまり、俳優は基本となる土台を作り骨組みを形成していくために、演技の方法論があるのです。
メソッドを取り入れる上で一番大切なことは、決して否定から入るのではなく、どんなこともまずは受け入れてから本質をしっかりと見抜くことです。
課題と向き合う時には、「視点は違っていても、本質的にベクトルが同じならばゴールも同じである」という柔軟性のある心構えも必要です。
また、メソッドの手法に安全も危険もない。それは、機械や道具と同じで使用する人間の使い方(考え方)次第です。ただし、我々は日常生活において、常に危険と隣り合わせで生きていることは忘れないで下さい。何事にも自分の命を賭けて取り組みながら生きているはずです。だから、俳優は上質なものを表現できるのです。
私は指導者として申し上げますが、この分裂した「メソッド演技」の全てを理解した上で、基礎となる「スタニスラフスキー・システム」をしっかりと学んで頂きたいと思います。そこから自分に合うものだけを選択していくことが大切です。後は、様々なアプローチからそれをどうやって吸収していくかは、俳優個人の感受性次第です。
演技を学ぶにあたり、決して与えられたメソッドだけに捉われないことです。なぜなら、俳優とは舞台での実践が全てあり、失敗の経験から学び、本質に基づいた「自分自身のメソッド」を創っていくことが最も大切だからです。
また、舞台の上ではそのメソッドを一度捨てなければなりません。実践では、どんなメソッドも無意味であり邪魔になります。
本来メソッドとは、孤独の修行の中で学んでいくものです。それと同時に、観客までしっかりと台詞が聞こえるようにする「開口・発声」も毎日欠かさずに訓練をすること。その地道な努力と修練、そして舞台経験を積み重ねていくことで、メソッドを感じさせない素晴らしい演技ができる俳優になっているはずです。
これが、私の持論です。
それでは最後になりますが、私がこの講義を通して一番伝えたいことを教授致します。俳優と歌手の表現手段に共通しているものとは何か。それは、「アクション(行動)」です。更に言い換えるならば、「言葉(作家の祈り)」です。
声を使って表現する仕事(俳優、声優、歌手、アナウンサー等)を志す者は、言葉を明瞭にする(言葉のイメージが伝わるようにする)技術をきちんと学ぶことです。
特にオペラ歌手が陥りやすいのは、ある程度「開口・発声」が身に付いてくると、美声(声作り)ばかりに執着してしまう。存在もしない「ベル・カント唱法」の理論に惑わされて虚構の世界に逃げても、決してそこから真理を導き出すことはできません。その執着心を捨てない限り、永遠に悩み続けることになります。
「声を磨くこと」「肉体と精神を磨くこと」「アクションを起こすこと」は、全て「言葉が伝わること」に集積しています。どんなに素晴らしい表現力でも客席にまで言葉がはっきりと聞こえなければ、プロとしては失格です。
全ての芸事に言えることは、基礎を身に付けるまでに最低5年、本質を理解できるまでに最低10年、プロとして適応できるまでに最低20年は、厳しい修行が必要であることを覚悟して頂きたいと思います。
私の講義が、これから演劇界の未来を担う若者のために役立つことを心から願っています。